先週、日中がん研究シンポジウムに出席しWelcome Lecture「Hereditary & Environmental carcinogenesis」で講演する機会が与えられた。「遺伝性腎がん」の多段階発がん過程で発現してくる遺伝子として発見した産物(1995年)が、後に「環境発がん」である「アスベスト・中皮腫」の血液診断マーカーとなり、さらに最近では、その関連分子が治療ターゲットにも展開していることを簡潔に話した。早速、参加していた北京の教授からジョイント会議を開催したいとのメールが届いた。驚きである。
思えば、筆者の「遺伝性がん研究」の恩師であるKnudson博士(1922〜)の業績を記念して『癌遺伝学の夜明け〜クヌドソンのTwo-hit Theory』(中川原章・樋野興夫編 2002年)、『Tumor suppressor genes and the two-hit model of recessive oncogenesis: celebrating Alfred Knudson’s 80th birthday.』(Testa J. R.・Hino O. 編 2003年)を出版したことが懐かしい。Knudson博士は「寛容と信念を備えた具眼の士」であり、我が人生の「Mentor」である。教育とはまさに「説得ではなく感化」である。
週末は、広島大学医学部学生の講義「がん学〜遺伝性がん&環境がん」に赴いた。熱心に聴講している学生の反応に接し、「医師教育」おける「病理学のぶれぬ大局観」は時代的要請であると痛感した。新幹線の中で学生の真摯なレポート「講義の中で最も印象に残った話は?」&「講義の感想等を書いて下さい」を拝読し「学生の今の想い」に「人生の邂逅」によって「新しい生命を接ぎ木」してもらいたいものと切に願うものである。
また、東京医科歯科大学・慶應大学の合同の看護学の大学院生の講義「がん哲学 & がん哲学外来」の機会が与えられた。看護師さんの講義も、新鮮な学びである。「看護支援・在宅看護」の立場からの「がん哲学外来」の実践を語った。最近、看護師さんの「がん哲学外来」の見学の希望も時々ある。「患者さんとの対話学」の学びの時であろう。
「“学者”とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない。———いかに学識が秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。学識があるだけではただの人である」、「一人一人、つまり顔と顔、魂と魂とをあわせて扱われなくてはならない」(中江藤樹 〜村の先生〜:『代表的日本人』内村鑑三著)とは、まさに病理学の「風貌を診て心まで読む」であろう。「練られた品性&綽々たる余裕」は「教育の真髄」である。