「教育の真髄」〜説得ではなく感化〜

 先週、日中がん研究シンポジウムに出席しWelcome Lecture「Hereditary & Environmental carcinogenesis」で講演する機会が与えられた。「遺伝性腎がん」の多段階発がん過程で発現してくる遺伝子として発見した産物(1995年)が、後に「環境発がん」である「アスベスト・中皮腫」の血液診断マーカーとなり、さらに最近では、その関連分子が治療ターゲットにも展開していることを簡潔に話した。早速、参加していた北京の教授からジョイント会議を開催したいとのメールが届いた。驚きである。

 思えば、筆者の「遺伝性がん研究」の恩師であるKnudson博士(1922〜)の業績を記念して『癌遺伝学の夜明け〜クヌドソンのTwo-hit Theory』(中川原章・樋野興夫編 2002年)、『Tumor suppressor genes and the two-hit model of recessive oncogenesis: celebrating Alfred Knudson’s 80th birthday.』(Testa J. R.・Hino O. 編 2003年)を出版したことが懐かしい。Knudson博士は「寛容と信念を備えた具眼の士」であり、我が人生の「Mentor」である。教育とはまさに「説得ではなく感化」である。

 週末は、広島大学医学部学生の講義「がん学〜遺伝性がん&環境がん」に赴いた。熱心に聴講している学生の反応に接し、「医師教育」おける「病理学のぶれぬ大局観」は時代的要請であると痛感した。新幹線の中で学生の真摯なレポート「講義の中で最も印象に残った話は?」&「講義の感想等を書いて下さい」を拝読し「学生の今の想い」に「人生の邂逅」によって「新しい生命を接ぎ木」してもらいたいものと切に願うものである。

 また、東京医科歯科大学・慶應大学の合同の看護学の大学院生の講義「がん哲学 & がん哲学外来」の機会が与えられた。看護師さんの講義も、新鮮な学びである。「看護支援・在宅看護」の立場からの「がん哲学外来」の実践を語った。最近、看護師さんの「がん哲学外来」の見学の希望も時々ある。「患者さんとの対話学」の学びの時であろう。

 「“学者”とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない。———いかに学識が秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。学識があるだけではただの人である」、「一人一人、つまり顔と顔、魂と魂とをあわせて扱われなくてはならない」(中江藤樹 〜村の先生〜:『代表的日本人』内村鑑三著)とは、まさに病理学の「風貌を診て心まで読む」であろう。「練られた品性&綽々たる余裕」は「教育の真髄」である。

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「21世紀の内村鑑三・新渡戸稲造・宮部金吾・広井勇 出でよ!」 〜真髄と心得〜

 今年の5月の連休・ゴールデンウイークも終わりである。たまたま、「新渡戸稲造庭園」(Nitobe Memorial Garden)がキャンパス内にあるバンクーバーのUBC大学から夏休みで帰国した息子とさりげなく、新渡戸稲造を語った。改めて、この連休は、札幌農学校の2期生「内村鑑三・新渡戸稲造・宮部金吾・広井勇」についての学びの時を持った。

 偶然にも『山に向かいて目を挙ぐ 〜工学博士・広井勇の生涯〜』(高崎哲郎著 鹿島出版会)の本が「吉田富三生誕100周年事業」(2003年) の知人から送られて来た。早速、読破した。広井勇(1862-1928)の葬儀での、内村鑑三(1861-1930)の心友との惜別の弔辞と宮部金吾(1860-1951)、新渡戸稲造(1862-1933)の述懐は、心に染みる。以前、筆者は、wifeと小樽を旅して「広井勇の大事業」である「小樽湾の防波堤」と「広井勇の胸像」を見学したことがある。まさに「高貴なる人間性を追い求める」(内村鑑三)生涯である。今年は「広井勇生誕150周年」でもある。「21世紀の内村鑑三・新渡戸稲造・宮部金吾・広井勇 出でよ!」と高らかに宣言したい時代的様相を痛感する。

 「がん哲学外来市民学会」のHP(http://shimingakkai.org/)が送られて来た。感激した。「爽やかなHP」とのお褒めの言葉が多数届いている。「がん哲学外来市民学会第1回大会」(2012年9月23日:佐久勤労者福祉センター)は長野県、佐久市、日本医師会、公益財団法人日本対がん協会、新聞社、テレビ局などの多数の「後援」も得られているとのことである。スタッフの情熱と意気込みには感服である。乞うご期待である。また、前日(9月22日)の「がん哲学外来研修センター:クアハウス佐久内」での「がん哲学外来コーディネーター養成講座」への関心・参加希望も多数寄せられている。

 連休の日にwifeと秩父市・羊山公園「芝桜の丘」を散策しながら、下記を静思した。
「がん哲学外来」の絶対性大原理:愛がなければ全ては無意味

「がん哲学外来」の真髄:
(1)愛に溢れた雰囲気
(2)静かな口調
(3)にもかかわらず

「がん哲学外来」の心得:
(1)仮面を外し、心の垣根をとる
(2)秘密は守る、リラックスした時間を過ごす
(3)正直になる、積極的に人々に仕える

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時代に生きる底力 〜「役割と使命」〜

 先週、第101回日本病理学会総会(京王プラザホテル)(会長:岡田保典 慶應義塾大学 教授)が開催された。今年のテーマは「医学・医療の中軸をなす統括病理学 〜病理学迎新世紀〜」であった。会場は盛況であり、病理学の「時代に生きる底力」を感じた。筆者は、特別講演「再生医学・医療の現状と将来:ips細胞を用いた神経再生・疾患研究」(岡野栄之 慶應義塾大学医学部 教授)の座長を仰せつかった。ダイナミックな、スケールの大きな研究に大変感銘を受けた。1000人の会場は満員であった。

 筆者は、同じ場所で第99回日本病理学会総会「広々とした病理学〜深くて簡明、重くて軽妙、情熱的で冷静〜」を主催したので懐かしく思った。記念誌として発行した『病理の百年を振り返って』(菅野晴夫著:癌研究会顧問)が500冊会場に置かれていたが、大好評で残部なしのようである。「現在を的確に認識し未来を志向する」にあたって、如何に、本書が必要不可欠であるのかを実感した。日本病理学会の歴史的な財産である。

 筆者は、2003年「吉田富三(1903-1973)生誕100周年・山極勝三郎(1863-1930)生誕140周年」を、菅野晴夫先生のご指導の下に、全国で展開したのが、記憶に新しい。筆者にとっては、まさに人生の「連続の不連続性」であり、大いなる成長点であった。人生の巡り合わせの不思議と『教育というものは本来「私事」(わたしごと)であるべきである』(吉田富三)の精神を痛感する今日この頃である。来年は「山極勝三郎生誕150周年・吉田富三生誕110周年」である。「病理学者の風貌と胆力」の見せ所である。

 週末は佐久に赴いた。「がん哲学外来カフェ」には32名もの多数の参加があり、驚いた。カフェは『がん哲学』の読書会であった。筆者は、隣室で「がん哲学外来」の個別面談であった。終了後「がん哲学外来市民学会実行委員会」が開催され、今年開催の「第一回がん哲学市民学会」(9月23日)と前日(9月22日)の「がん哲学外来コーデイネーター養成講座」プログラムについて、佐久総合病院、浅間総合病院の先生、医療者、市民を交えて活発に討議された。スタッフの熱意と誠実な姿勢に触れ、大いに感動した。

 「人生の目的」は「品性の完成」を目指すことだと考えると、「境遇にはかかわらず」人間は、ありのままで、学びや考えることによって変わっていけるはずである。その力は、誰にでも「役割と使命」があるように、どんな人間にも備わっているはずである。

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熱誠と忍耐 〜理想を実現する術〜

 先週は、全国に370店はある調剤薬局を有する会社の新卒薬剤師の研修会「次世代の薬剤師を育てるセミナー」(唐津市に於いて)で「医療の隙間を埋める、次世代の薬剤師について」のタイトルで基調講演の機会が与えられた。182名の新入社員への講演であった。『「がん哲学外来」の提唱者』として紹介され、皆、真剣な眼差しで受講し、講演後の60分間の活発な質疑では「がん患者と向き合うことから学べる、これからの薬剤師にできること」への多数の質問があった。「がん哲学外来カフェ」への関心の高まりを肌で感じた。とても貴重な充実した時であった。全国に先駆けて「がん哲学外来カフェ in 調剤薬局」が近いうちに開設される予感がする。薬剤師の時代的出番でもある。

 講演終了後は、唐津〜佐賀〜長崎へと電車の旅であった。友人が『「地域密着型特別養護老人ホーム みぎわほーむ」』を開設されたので、その祝福と施設見学と『新渡戸稲造(1862-1933)生誕150周年記念事業「みぎわほーむ開設記念」第一回市民公開シンポジウム「がん哲学外来カフェ in 長崎」』を兼ねて長崎に赴いた。会場の『地域交流ひろば「もみの木」』は満員であった。102歳のお婆さんも前列に車イスに座って聴いて下さった。60分の講演とその後の30分の質疑の時間も居眠りされることもなく、眼を輝かせて優しく見つめて下さっている姿には感動した。人間の「品性」を感じた。

 牧師が座長をして下さったのも初めて経験である。今回の「みぎわほーむ」の「名付けの親」とのことである。「もみの木」は、さりげなく筆者のsuggestionで決められたとのことである。大いに感激した。施設内には「もみの木」が植えてあった。これは、昨年、生誕150周年であった内村鑑三(1861-1930)の『デンマルク国の話』のダルガス親子の「樅の木」の植林成功の事業に由来する。筆者は若き日、内村鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の話』(岩波文庫)の約100ページの薄い本を夜を徹して読んだものである。ダルガス親子の「熱誠と忍耐」と「大樅と小樅の不思議な力」による「国の挽回と改造」の物語は、「理想を実現する術」であり、時代を超えて今にも生きる。

 『デンマルク国の話』は、1911年の講演を内村鑑三自身が文章化したものである。『「愚かなる智者」のみありて、ダルガスのごとき「智き愚人」がおりませんならば、————、その国はそのときたちまちにして亡びてしまうのであります。————大いに軽佻浮薄の経世家を警むべきであります』、まさに100年後の日本国の今に甦る「預言」であろう。

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鵜鷺に医療村を 〜歴史的な役割意識〜

 金沢から新聞記事「県内初 がん哲学外来 〜 金沢赤十字病院15日開設」(北國新聞4月13日付け)が送られて来た。「金沢赤十字病院・金沢大学・金沢医療センター」で持ち回りでの開設とのことである。大変ユニークな新しい医療のあり方の展開となろう。

 週末、筆者は、久しぶりに帰郷した。91歳の父と89歳の母としばしの再会の時であった。廃校なった鵜鷺(鵜峠と鷺浦=鵜鷺)中学校は、現在は「鵜鷺コミュニテイセンター」の名称となっている。そこで、「がん哲学外来と鵜鷺メデイカルビレッジ構想について」のタイトルで講演する機会が与えられた、父母をはじめ80歳を超える2人の叔母の参加、さらに同級生の出席もあり、かっての教室は満員であった。講演中、寝るお年寄りも1人もなく、90分の講演時間もあっという間に過ぎた。翌朝、地元の山陰中央新聞には写真入りで、「鵜鷺に医療村を〜古里で構想を語る〜」と大きく取り上げられていた。「鵜鷺メデイカルビレッジ」は「日本国の事前の舵取り」になる予感がする。

 因みに、現在、鵜鷺小学校は全校生徒5名である。思えば、筆者が小学校入学当時は、鵜峠と鷺浦の村を合わせて(鵜鷺)人口は約1700人であった。今は、約250人で、60%が65歳以上であるとのことである。まさに、最近よく耳にする高齢化の進む「限界集落」である。さらに、約250世帯のうち空き家は125世帯を超え、空き家率は50%であるという。その空き家を有効活用しようというのが「鵜鷺メデイカルビレッジ」の理念・構想である。近未来の「人類の医療の共同体」の時代到来に向けて「自然に囲まれて生活ができる仕組み」の青写真の提示でもある。この地に生まれた役割意識であろうか!?

 講演会の後、スタッフと一緒にお茶を飲みながら楽しい懇談の時を持った。「鵜鷺メデイカルビレッジ」は、地元に住む人、都会から地元に帰って来た人、出雲市内の看護師・医療関係者の方々、そして他県から、鵜鷺の村の魅力に惹かれ、定住されるようになった若者とのチーム・ネットワークである。NHKのアナウンサーの方も参加され、大いに、次の戦略を語りあった。既に、活用出来る空き家は5軒はあり、今秋までには1軒は具体的に開所される様相である。2〜3年のうちには10軒を目指す方針となろう。まさに、「神在月の出雲」において「古事記編纂1300年」の今年の歴史的大事業となろう。

 夜は、父母とゆっくり食事をしながら、早朝6:00時、母の涙を背に故郷を後にした。

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病理学者:森亘先生を悼む 〜「日本国の叡智と品性」の喪失〜

 2012年4月1日森亘先生(86歳:病理学者・元東大総長・文化勲章受賞)が逝去された。筆者は4月4日の通夜に参列した。森亘先生からは、毎年、励ましの年賀状を頂いていた。筆者の学位論文は「肝癌症例におけるB型肝炎ウイルスDNAの組み込み頻度と肝癌発生におけるその評価」(1984年)であった。その節は、森亘先生には、大変お世話になった。「日本国の病理学者の中で、最初にDNAを抽出し、分子生物学的に宿主DNAへのHBV組み込みを最初に報告した者」として大変褒めて頂いたことが、昨日の様に想い出される。

 筆者は、森亘先生にサポートして頂き、1984年UICC(国際対がん連合)のThe Yamagiwa –Yoshida Memorial International Cancer Study Cancer Study Grant(山極—吉田 国際がん研究フェローシップ)で Albert Einstein College of Medicine(ニューヨーク)に留学の機会が与えられた。さらに1989年には、同じくUICCのThe American Cancer Society-Eleanor Roosevelt International Cancer Fellowshipsで、Fox Chase Cancer Center(フィラデルフィア)と2度目のアメリカ留学の機会が与えられた。筆者にとって、共に、人生の不連続点であり、それぞれに大きな邂逅の時が与えられ、大いなる成長・学びの時であった。「自分の身長が伸びた」と自覚出来た貴重な経験でもあった。筆者にとっては、この機会を与えて頂いた森亘先生は、まさに、人生の恩師でもある。

 2003年の「吉田富三先生生誕100年記念事業委員会」の代表を務めて頂き、筆者は幹事として記念式典にも参画する幸運に恵まれた。吉田富三先生生誕100年記念寄稿集『吉田富三先生 人とその思想』にも「吉田富三教授と太田邦夫教授」と題して執筆して頂いた。また、筆者が会長として、第99回日本病理学会総会(2010年 京王プラザホテル)を開催した時にも、シンポジウム「新しい世紀の病理解剖」で、森亘先生には「特別発言」をして頂いた。病理学者として、感銘深い「叡智」に溢れたお話であった。

 森亘先生には「新渡戸・南原基金」の顧問も引き受けて頂き、毎年の「新渡戸・南原賞」の授賞式には、参列して下さった。「存在感のある品性のある」大きな重しでもあった。ご発言は何時も「的確で、かつ細かなことも明確に記憶されておられ」、森亘先生のご逝去は、病理学に止まらず「日本国の叡智と品性」の大いなる喪失である。本当に哀しい。後世に生きるものとして、「バランス感のある品性」を継承したいものである。

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「がん哲学外来カフェ in 万座温泉」 〜「品性」を建て直す〜

 『がん哲学ノート』も100回となった。最近、『がん哲学ノート』を毎回、楽しみにしていますと言うコメントが寄せられる機会が多くなって来た。継続の大切さを痛感する日々である。『新渡戸稲造学校ニュースレター』第3号が金沢から送られて来た。その中に、「4月15日 金沢がん哲学外来」開催が記載されていた。「金沢大学・金沢赤十字病院・金沢医療センター」の混成チームによる快挙であろう。時代の先見性を感じる。

 日本国は、今は春休みのシーズンである。インターナショナル・スクールもスプリング・ブレークである。そこで、wifeと休暇を頂いて上信越高原国立公園 万座温泉に赴いた。今回は2回目の訪問である。1回目は、約10年前ぐらいで、子供達と一緒に行った想い出がある。標高1800mの高地温泉である。「日本に4500以上の温泉がある中、標高1000m以上の高地温泉は日本に40数カ所、その中で酸性硫黄泉は万座温泉だけ」とパンフレットに書かれている。新宿からバスの旅であった。万座は吹雪であった。3月終わりの想い出に残る情緒ある風景であった。

 夜、「がん哲学外来カフェ in 万座温泉」で講演する機会が与えられた。フロアーは満席であった。今までとは違い、湯治客・浴衣姿の聴衆を前での講演は、とても新鮮であった。また、泊まり客との新しい出会いが与えられた。講演後のスタッフとの深夜までの語らいは、人生の癒しの時でもあった。スタッフの「風貌と品性」に接し、人間は、何時の時代になっても、人生に於いて「誠実で、優しく、温かい」人間を探すのであろうことを実感した。9月には、新渡戸稲造(1862-1933)生誕150周年記念事業「がん哲学外来カフェ in 万座温泉」開設と開設記念シンポが企画される気配である。「次世代の温泉地」の舵取り的モデルとなろう。これからの温泉地の「あり方」を静思した。

 早朝、wifeと雪の万座を散歩しスキーを楽しむ家族連れを見ながら、medical villageが脳裏に浮かんだ。我が故郷の「鵜鷺 medical village」とは違う、温泉地における「medical village 構想」である。「医療の共同体」は人類の進むべき方向性であろう。「1人の人間を癒す為には、1つ村が必要である」の実践の時であろう。「万座 medical villageを実現する会」発足の時代的到来を予感する。今回は『国の強さは「その民族の家庭の中にある」(リンカーン:1809-1865)、「その民の心に於いてある」(内村鑑三:1861-1930)』の貴重な学びと、「品性」を建て直す大切な万座温泉の旅でもあった。

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明るい未来を語る 〜「Union is Power」〜

 先週の休日、「富士山記念 山梨 がん哲学外来」に赴いた。昨年の大震災で、ご家族2人を被災地で津波で亡くされた、悲しみの中にあるスタッフとの一年ぶりの再会の時でもあった。早速、「本当に良い時になり、それぞれのスタッフの人生を通じて学ぶこと大の元気の出る感動の時でした。」とのご返事を頂いた。「富士山記念 山梨 がん哲学外来」3周年記念シンポが今年の初夏に清里(萌木の村)で開催される気配である。スタッフ、患者家族との交流、オルゴールコンサート、等が企画されることであろう。1933年に同じように三陸に大地震が起こり津波がやって来た。その時に、新渡戸稲造(1862-1933)は、三陸を視察している。そして「Union is Power」と語ったという。まさに、「時代の波は寄せては返す」という思いを深く心に刻んだ、今回の「富士山記念 山梨 がん哲学外来」であった。

 週末の土曜日の午後、市民公開講座「認知症とがん 〜明るい未来を語る〜」が都内で開催された。600人定員の会場は一杯であった。「認知症哲学」(服部信孝先生)、「がん哲学」(筆者)と「認知症・神経難病とがんを落ち着いて考える会」の世話人である2人の講演に始まり、特別講演「がん医療と心のケア」(大西秀樹先生)があった。大変、心温まる感動的な特別講演であった。その後のパネルデイスカッション「認知症とがん 〜明るい未来を語る〜」では、金澤一郎先生の名司会で、時の過ぎるのも忘れて、参加者との一体感のある、とても親近感のある学びの時であった。早速、『本日は、素敵な講演会を有難うございました。「人をみる」という姿勢が、こころに真っすぐ届いてきました。同時に、聴講されている方々の熱心さも感じました。本当に求められているのですね…。色々な意味で、「尊さ」を感じた講演会でした。』とのコメントを頂いた。

 「改革者は自らは変革されないで、改革された社会に進むことを望む。よって、真の改革は何一つ出て来ない」といわれる時代的様相にあって、「優れた能力を持った人物が、自分のためでなく人のために尽くす」ことの時代的意義と「人の心と歴史を見抜く人格の力が出でよ!」との真摯なる心の叫びを、参加者の熱い視線から肌で感じた、大変実りある市民公開シンポであった。これこそが「医療維新の真髄の動機」であろう。まさに、「人生の目的は品性の完成なり」(内村鑑三:1861-1930)の「品性=人格」を思い出し、「いかに生きるべきか」ということを主体的に学ぶ時機到来にあると痛感する今日この頃である。

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「吉田松陰記念 山口 がん哲学外来」の時代到来 〜患者には「故郷」がある〜

 先週夜、月1回の定例の南原繁(1889-1974)研究会(第95回)であった(学士会館)。これは「南原繁著作集」の読書会である。既に、全10巻も2巡目である。今回は、第4巻「政治理論史」第4章「近世啓蒙思想」(241-321ページ)の箇所であった。司会役を務める「がん病理学者」の筆者にはとても難解な文章も、その分野を極め尽くしたトップクラスの人々の説明・解釈を聴くことによって、何となく、大枠が俯瞰的・大局的に理解出来る充実感がある。まさに「継続は力なり」である。「異分野」の「同好の士」の交わりの大切さを痛感する時である。何となく「心が豊かになる」思いでもある。

 「お茶の水メディカルカフェ読書会」が異分野の交流としてスタートしたとのことである。テキストは筆者の『がん哲学』(EDITEX社 2011年刊)とのことである。驚きである。第1回は3月16日6:00〜8:00pm 開催されたとのことである。今後、月1回のレベルで定例的に開催されるようである。本書の朗読化(元NHKアナウンサー青木裕子氏)も終え、CD作成の段階とのことである。自分の想いを超えた人生の不思議を感ずる日々である。

 週末、主催「中国・四国広域がんプロ養成コンソーシアム」、共催「山口大学医学部付属病院腫瘍センター」の「緩和ケアセミナー」(宇部)の基調講演『「吉田松陰記念 山口 がん哲学外来」の時代到来』に赴いた。親友も特別に参加して頂き、会場は満員感であった。講演後、お茶を飲みながら、近い内に、大学病院に「吉田松陰(1830-1859)記念 山口 がん哲学外来」が具体的に開設される予感を感じた。「吉田松陰」は山口市民の誇りであろう。筆者は意識的に、その地の偉人の冠をつけた「がん哲学外来」を推進している。「新渡戸稲造」(1862-1933)、「内村鑑三」(1861-1930)、「吉田富三」(1903-1973)、「勝海舟」(1823-1899)然りである。「がん」は世界共通語であるが、患者には「故郷」がある。まさに「地方(ぢがた)学」(新渡戸稲造)である。

 新渡戸稲造の『一日一言』の「6月27日」には「吉田松陰」の記述がある。安政6年(1859年)のこの日に「吉田松陰」は処刑されている。「——追想するについて、我々の命の無事安全を思い比べ、我々は——何かをしているやを疑うほどであるが、時が移れば務めも変わる。務めが変わっても——心は変わらぬ。」とある。「吉田松陰」が、今の世に生きていたら「21世紀の松下村塾=がん哲学外来」を「医療の幕末から医療の維新」に向けて、「患者の為に」大らかに、高らかに、心優しく展開するのではなかろうか?

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誕生日プレゼント 〜内村鑑三・新渡戸稲造の温故創新〜

 先週、厚労科学研究「石綿関連疾患の診断基準及び手法に関する調査研究」班会議に出席する機会が与えられた。誤診率の高さには、改めて中皮腫の病理診断の難しさを痛感した。長期生存・治癒においても、発症前診断・早期病変発見は目下の急務である。また、筆者が座長を務める「アスベスト・中皮腫研究型検診」事例検討事務局会議に出席した。この5年間の貴重な成果を取りまとめ、公表する時期到来となってきた。筆者らは、簡便な感度の良い血液検査による診断法の開発と新規治療法の開発を精力的に進めている。「環境発がん研究」推進は、政治・行政・学者・市民が一体となり、日本国の重要な課題であり、国際人:新渡戸稲造(1862-1933)生誕150周年記念事業に相応しい。

 昨年の3・11大震災の前後の『グリーフケア 〜心の痛みに寄り添う〜』(伊藤順造著:福島県いわき市にお住まい)の本が送られてきた。冒頭に『2008年1月に、順天堂大に「がん哲学外来」が開設されました、ーー病理学者樋野興夫教授の発案による、日本最初の試みとして広く知られるようになりました。ーー評判を呼んでいます』と書かれていた。光栄に思うと同時に、本の内容の高さ、深さに引き込まれ、一気に通勤の電車の中で通読した。大変感動した。

 先週、福井県済生会病院 市民公開シンポジウム「がん医療の隙間を埋めもの」の1ページ全体を占める特集記事(福井新聞)と国立病院機構沼田病院の「内村鑑三記念 がん哲学外来」の新聞記事(ぐんま経済新聞)が送られてきた。今や「がん哲学外来」は患者主体の医療の入口『人間学の場』と称されるようになって来ているようである。関心の高さを改めて確認する時となった。奇しくも、後者は筆者の誕生日の日に関する記事であった。若き日、夜を徹して読んだ「内村鑑三(1861-1930)」の記念であり、まさに、大きな誕生日プレゼントとなった。「内村鑑三・新渡戸稲造の温故創新」の週であった。

 週末、乳腺を専門とされる医師・医療者による「みちのく乳腺若医塾」(仙台)で特別講演「がん哲学」の機会が与えられた。本来、昨年3月11日に企画されていたが、3・11大震災で中止となったものである。東北大学、秋田大学、山形大学をはじめ、多数の参加があり、会場からの質疑もあり、大変有意義な時となった。「上杉鷹山記念 山形 がん哲学外来」開設の時代到来を予感する実りあるとても印象に残る講演会であった。

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