「NPO法人がん哲学外来」第3回公開シンポジウム「最期まで しあわせに生きる 街と医療の使い方」(多摩市)が開催された。満員であった。筆者は、講演「メディカルタウンの未来」の機会が与えられた。パネルデスカッション「メディカルタウンの未来〜わが街の工夫〜」では、市長、医師、新聞記者の講演とフロアーからの活発な質疑があった。多摩市の特徴を活かした「メディカルタウン」の青写真の提示は、時代の要請であろう。「がん哲学外来カフェ in 多摩メディカルタウン」が開設される様相である。
休日の午後は「30年後の医療の姿を考える会」第6回市民公開シンポジウム「メディカルタウンの自分力 〜救済の客体から解放の主体へ〜」であった。大変、ユニークな個性豊かな「基調講演」・「パネルデスカッション」の講師陣であった。貴重な学びの時であった。筆者は、「おわりに」の挨拶で「救済の客体から解放の主体へ」の経緯を語った。
筆者は、今年、ハンセン病療養所である長島愛生園で「新渡戸稲造(1862-1933)生誕150周年記念 神谷美恵子記念 長島愛生園 がん哲学外来(カフェ)」を依頼された。神谷美恵子(1914-1975)は41歳で癌を患い、43歳から「生きがい」を求めて、精神科医として15年間、長島愛生園に勤務している。まさに、「生きがいの公理=苦労があって、生きがいがある」の実践であった。神谷美恵子は、戦後文部大臣であった前田多聞の娘である。前田多聞は学生時代、新渡戸稲造の「高い見識」・「広い視野」・「深い人間性」に感銘を受け、その娘である神谷美恵子は、新渡戸稲造を幼き時から尊敬していた。
1996年「らい予防法」が廃止され、1998年『「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟』が起こり、2001年熊本地方裁判所で、原告勝訴の判決が下り、国は控訴断念をしたのは、記憶に新しい。「救済の客体から解放の主体へ」は最終公判の際に弁護団が提起した言葉として知られている。筆者は、その概念の根拠・原点を、荒井献先生(東大・恵泉女学園名誉教授)に尋ねた。「イエスの服に触れる女」のいやしの物語(マルコ5章25-34節)→ ルカ版(ルカ8書43-48節)→ マタイ版(マタイ9章20-22節)に変遷の根拠があると学んだ。それぞれの立場のグループがあって、描かれ方が微妙に違う。「解放の主体」から「救済の客体」へと変遷している。今ふたたび、「救済の客体から解放の主体へ」と方向性を促すのが、現代の医療の務めであろう。まさに「感覚の相互性」であり、「隣人の客体化」から、自ら「主体的に隣人となる未来型医療」の到来である。